-蓼と虫 / はっぱとちょう-



部屋の中央より寸分手前。
低く頑強な材質で出来たテーブルの上に、山崎の上体は投げ出された。
焦げた茶の画板約三分の一に添えられた、一糸も無く露にされた山崎の背中の白。
腰がなだらかな丘陵を描いて、下半身は畳に続く。
ずりずりと少しづつ、丘陵は地殻に潜り込む。ついた膝から腰までの長さがテーブルの高さに合わないのと、すでに痺れさえ感じてきている下肢の疲労の重みのせいだ。腹を後這いにテーブルに擦らせて、そのまま尻を落としてしまいそうだと、火照った頭の片隅で危惧する。

土方は無言のままでその腹を抱え、膝が少し浮くぐらいに持ち上げてやった。そうすればさっきから繋がったままの土方の腰にとって丁度良い高さになる。
畳への後退と共に抜け落ちそうになっていた土方の性器が、持ち上げられた時に擦れた膝の痛みを掻き消すかのように、またしっかり自分の深くに埋まる。
後部からの重みと衝撃に、硬い平面の上に張り付けられる形となった山崎は、圧力を分散させようと、朧な意識で両肩を開き、胸と片耳を卓上に伏す。横目で土方の目を顔を表情を。追おうとするが、二人分の上半身の重みで首も曲げられないこの体勢と、部屋の隅から隅までを煌々と照らす蛍光灯の逆光に阻まれてそれは叶わず、定まらない視点を限られた視界の中でゆらゆら泳がせる。

もう何度ほど、内腿を震わせながら強張らせたのかもわからないというのに、土方の齎す劣情は、まだ体の中心を遡り全身に広がり続け、病理のような愉悦は止む事はない。
すでに何度も白い世界に連れていかれそうになっているが、聞く耳など持たれず。どうにか我慢できる域などとうに超えている。ひくひくと肺からの乱呼吸にしゃくり上げながらも、再度再度再度、なんとか相手にその事を伝えようとする。

「ん…んふっ…あっ…!ふくちょ…あ、もう、もう…」

うまく言葉も繋がらない。
その間も快感は押し上げてくる。ばらばらになりそうな現実感を繋ぎとめようとして、指の腹にあたる物を掴もうとした。しかしそれはいつもの柔らかな布団でもなければ、引っ掛かる目を持つ畳でも無い。10本の指をコの字に曲げても、堅い木の表面を滑っただけの自分の指先が、無手のまま掌に戻ってくるだけで、前も後ろももう限界に近かった。
だめだ。山崎の頭がその言葉を残して弾け飛びそうになったとき、土方は揺らしていた腰を緩め、山崎のを掴んで上下させていた手の動きも止めたかと思うと、山崎の根元をぐっと強い力で握った。

「たまには役職じゃなく名前で呼んだらどうだ?」
「…ひ…!…ぁ」

土方は耳が山崎の弱点の一つである事を熟知していて、わざとらしいまでに声と共に出す空気の量を増やしながら耳に近付く。語末の疑問符のところは聞こえるかどうかの小声にし、山崎の耳の周りの空気を掻き乱す。
案の定声を上げたところで口を閉ざし、少し顔を離す。そうすると山崎は、じんじんする頭から、さっき土方が吐いた言葉を手繰り寄せようと一所懸命火照った脳から聞いたはずの単語を掘り返す。

「っえ?…っええっ…?あ…」

やっと繋がった。が、土方の言のあまりの唐突さと不可解さに山崎は狼狽を見せ始める。
土方はその様子を見下ろしながら笑うでもなく、つい今まで腹に回していた腕を胸元に潜り込ませ、上半身を抱え上げた。
繋がったままなので、抱き上げられると下の方も角度が変わる。起き上がった山崎の内側は、えぐられるようにおしつけられるようにして異物の存在と状況を再知覚させられ、すでに困惑の渦中の頭まで掻き回される。
言葉の止まってしまった口からは、くぐもった声が漏れる。喉を詰められたみたいに、んぐ、ふ、ぐ、と。それを発している当の山崎の耳にはなんとも下品に届いてくる。

「ん?」

仰け反って白い首を露にした山崎の顔を被さるように土方が覗き込んだ。
山崎よりも頭半分以上背丈のある土方の額や前髪は、昼間からずっとつけたままの天井の明かりを、遮る笠に充分になり得た。
土方は、自らが作った影の下の男が、目を潤ませはあっはあっと大きく息をつきだしたのを見て、ゆっくりと回転させていた腰の動きも完全に止めた。潤む瞳は哀愁さえ漂わせて、暗がりの下でさえゆらゆら光をもって揺れていた。
動くのを止められたのに気付いて山崎は思わず、あ、と消えるような惜しむような短い声を上げた。それは土方の耳にも入る。
普段顎の奥で保護された首と顔の境目の、少し柔らかい部分を口唇で噛むように挟んでやる。

「…ああっ」
「ん?」

山崎から漏らされた声は同じ“あ”の音。でも、さきほどのとは違った色を含んでいた。
その喘ぎを聞いて、まるで応答のように山崎の耳の側近くで響く土方の短い疑問符は、普段の短気な彼からは想像もつかないような優しい音。
もう息も絶え絶えのはずが、動かない土方の下半身に、全身がただただ焦れる。いっそ思いのままに。山崎は腰を振って自らの秘部とその入り口に嵌ったそれを扱こうとするが、腰に宛がわれた土方の腕がそれを許さない。

「ふくちょ…」
「ん?」

また山崎の耳元でまた短い相槌を繰り返す。
それはそれは優しい声色に、はっきりとした黙殺の意志を宿して。
こういう時の山崎は、土方に弱い。駄目な上司にこっそりと毒づく普段の自分など、どこにもいなくなってしまう。
潤んだ瞳が涙目へと徐々に変わっていく。

「ひ…」

出掛かって、言葉を詰まらせる。
普段何気なく呼ぶ事もある名なのに、どういうわけか恥ずかしくて仕方が無い。頭文字ひとつでもう目をぎゅっと閉じてしまった。

「…」

今度は無言の催促だろうか?含羞の仕切り戸を何食わぬ顔でこじ開けようとする土方。土方の顔を見る事が出来ない。見上げようとしても見えないからではなく、きっと違う体位での最中に同じ状況があったとしても、自分は目を伏せずにいられなかっただろう。
依然土方と繋がった部分はただじいっと動かないまま。

途切れた声とは逆に頭の中を逡巡が駆け巡る。いきたい。なんで急にこんな事言うんだろ。いかせてもらえないの?今までは無かったのに。いきたい。なんで?いきたいいきたい。呼んでもいいんだろうか?あそこもここも、苦しい。何これ?苛め?…憎いと思っていいのか疎ましいと思っていいのかわからない。やば、腰が…熱い。なんか、こういう時にそんな風に呼ぶような関係じゃないと思ってたから…。漏れそうなのに。呼んでもいいんだろうか?いきたい呼んでみたい…呼んでもいいんだろうか?呼んでもいいんだろうか?ひじかたさんいきたい。ああだめだ、わけわかんない俺。



「土方さん…」
「言えんじゃねーか。」

山崎がやっとの思いで搾り出した声を尻目に何食わぬ顔をして、とうとう一粒だけうっすらと涙の零れてしまった山崎の横顔を見下ろす。

「そんなに焦らしてほしかったかァ?」

土方がニヤリと笑う。

「ちが…っ」

土方の言葉で顔をさらに真っ赤にした山崎が、その言葉を最後まで吐ききらないうちに、土方は薄い胸を抱いていた腕を背に回し、山崎をテーブルに押し付けた。
いたっ…その言葉を喉から出し終える間も与えず、土方は山崎の根元の戒めを解いた手を山崎の腰骨を掴むのに回し、大きく皮膚を打つ音をひとつ響かせて勢い良く腰を振り下ろす。
痛みを上書きした奥と皮膚への鮮烈な触激に、今度は遮られる事無く声を上げて、山崎は全身を震わせ、ほんの一瞬びくんと上体を反らせた。一瞬。だが背にある掌の主にも伝わるほどに大きく。

「じゃあ、こうしてほしかったんだなァ?」

土方は押さえつける腕にますます力を乗せ腰を振る。テーブルにピッタリとくっついた腕や頬や胸がその衝撃で小刻みに前後に滑って、山崎の肌に摩擦を起こした。だがその熱さを感じる間も無いほど、土方は激しく山崎を突き下ろす。
痛い、してほしかったのはこんな痛いのじゃなくて…けど…気持ちいい。
再び襲い来る衝打は、どういうわけか先程までよりも山崎の心身を強く揺さぶり、先程までのように扱かれているわけでも無いのにすでに、山崎の物は至る寸前にまできていた。

「返事は?」

腰骨に掛けられた土方の手に力が篭る。もともと必要な質疑のつもりで投げかけたわけでは無かったが、体をびくびくと反応させ、痴れ声を上げるだけ上げて目を泳がせる山崎に、どういうわけかくすぐられる。苛々とは違う何か。もう少し意地悪をしてやりたくなった。

「山崎、返事は?」

今度はその声の中にはっきりと苛立ちの気配を読み取る事が出来る。だがそれは土方が、相手から見えないのを良い事に、含み笑いをしながら交ぜた贋物だった。自分の眼下で咽ぶ相手に、悪戯な嗜虐心が刺激された。

いつもの、少なくともこういった状況外での山崎ならば、土方の下手な芝居になどそうそうひっかかる事など無い。怜悧に冷静に心の中で舌を出していた事だろう。なのに組み敷かれるその下では、いつもの利口者はただのお利口さんになってしまい、山崎自身それをよく自覚していた。

― 不思議な事ですね。

と、時々誰かの声が聞こえてきそうな気さえする。誰にも知られていない関係のはずなのに。
少なくとも自分はそのつもりでいる。誰も知らない代わりに自分が一番よく知っているから、知りすぎてさえいるから、人もそうなのではないかと、自分の中に起こる事変に踊らされる結果となる。つまりは考え過ぎで、それは自身よくわかっている事だが、意識するのをやめようと思えば思うほど、どうにもしようがない。

山崎の中の道に無理無く沿うように出入りしていた土方の性器が、落ち抜けてしまいそうなほど入り口の寸前まで引かれ。止まる。
知らずのうちにまた山崎は喘ぎ声の中に疑問符を混ぜている。本人にそれを気付かせて、その好き者ぶりでもなじってやろうかどうか迷ったが、今回はやめておいてやる事にした。
背の中ほどにあった手をもう一方の腰骨まで滑らせると同時に、土方は自分の腰の位置を下げ、一息置いた。
消えた声とはうらはらに、物欲しげにひくつき主張する方の山崎の口に、土方も早く次の一打を喰らわせてやりたかった。

更にギリギリのところまで低く引いて反動をつけ突き出す。
一息の停止がひどく長い時間だったように感じられるほどの早さで、山崎の背側の腸壁を破ってしまいそうな勢いで、山崎の奥を突き上げる。
唐突に無茶な角度で捩じ込まれ擦られ、山崎はひっという声帯を踏みにじられたような短い悲鳴と共に目を見開く。引いていた涙がまた涙腺からじわと溢れてきた。

「で?」

少し大きめに下された土方の御下問に、山崎ははっと意識を取り戻し、詰まりながらも一息で答える。

「そっ…そですされたかったんですっ」

表情や語尾に恐怖の色が混じっていたが、土方の強い語気に怯えたわけではなかった。
その答えは脅されて出たものでもなければ、紙に書いてあった台詞をただ読み上げたのでもない。となればあれはあくまでも本心で。…そういった陰を持つ自身への、無言の抵抗と無意識の恐怖心からだった。

「最初っから素直にそう言えや。」

声色を変えず言い放ち、角度を変えずそのまま続けたが、痛いです痛いと嗚咽まじりに訴えながらも山崎は明らかに善がっているのが土方には見て取れた。悲痛な訴えを同じ喉から出る嬌声に取って代わられながら、拳を握った両腕を胸の下にしまい震える山崎のその様を見下ろし、自分にも頂上がすぐ傍まで近付いてきているのを感じた。

「い、く。…お前も出せ。」

忘我の中の山崎に、言葉の終わるのを待つ余裕があるはずもなく、ましてや返事をするなんて芸当が出来るわけもない。土方が発した最初の二文字が耳に入ると同時に、すでにテーブルの下に迸らせてしまっていた。
山崎が絶頂直後の震えに全身を襲われている間に土方も達し、余波の数十秒を山崎を挟むようテーブルに伏した。

ずるり、と中の液体を放出させて、若干柔らかくなった物を抜き取る。
つかの間、二人の乱呼吸が、競うように空中を彷徨っていた。



「てめぇ…誰が座ると思ってんだ?そこに。」

おもむろに切り出された言葉に、伏したテーブルの上で山崎は閉じていた目をパチリと開く。
ああ、ティッシュ…箱はどこだったかななどとぼんやり考えつつ何の事だかわからずに眼球を半周させてから、自分が盛大に溢してしまった場所が、デスクワーク時の土方の定位置だという事を思い出す。

「え?あ、すいませ…」

振り返り思わず謝りかけたが、既に胡坐をかいて煙草に火をつけている土方の横顔を見て、どうもこれはおかしいと気付く。
何故怒られてるんだろう。理不尽だ。だいたいあの位置に自分を押し付けたのは土方で、あんな体勢じゃ何処に飛ぶかなんて決まっている。仰向けになろうにも押さえ付けてたのは自分のくせに…理不尽だ。いつもの事ながら理不尽だ。
そうは思いながら自分が突っ伏していたすぐ傍にあった灰皿を手にとって、先刻までの激しい運動に笑う膝をなんとか支えにし、土方の胡坐の前へ持って行こうと上体を起こした瞬間、尻の割れ目に違和感が走った。

ぬるり?…たくさんつけすぎたのかな?
灰皿を差し出そうと体ごと土方の方に向き直る。

「あ…」

漏れた声と同時に目を見開いて、目を見開くのと同時に畳でボタっと音がした。内腿をつると滑った液状の物が、揃った膝頭の間に落ちた音だった。山崎は灰皿を持つ手を伸ばすのを忘れ、自分の腿の隙間から畳までを覗き込む。やはり、白い。
呆然としていたら、また続いて同じ仄白い液体が、自分の穴をほんの僅かに広げ、少しの重みをもって通り抜けた。違和感が、そこから冷気のように背筋を走った。余韻でぼおっとしていた頭が瞬時に冴える。おい…あんたの方は何処に出してくれてんだ。今しがたの理不尽な物言いも重なり、もたげた頭に血が上る。

「ちょ…っと、あんたぁ!」
「早くそれ寄越せ」

土方の方に顔を上げなおすと、とうに腕を枕に仰向けになってテレビのリモコンをいじっている。
周りを見回しても散らばっているのは少量のティッシュペーパーだけで、ゴムの残骸すら無い。やっと目についた四角い袋は未開封のまま、綺麗なリング状の隆起を中央に残したまま、引き出しの下に転がっている。切り取られる事も無くご丁寧に三連に連なったままで。その時には既に自分が平素と同じ状態であったとは言い難いが、土方がいつものようにいつものその場所から、その袋を取り出した場面は、山崎もしっかり脳裏に残っていた。が、それを自分に着けさせようとするシーンが記憶の何処を探しても見当たらなかった。
これ…もしかして俺の落ち度?この人が自分で着けた試しなんか無いもんなぁ…。
いや、そういう問題じゃない。

「ちょっと土方さんあんたねぇ…」

言いながら山崎は震えるのもお構いなしにずかずかと膝で歩いて、土方の煙草を咥える頭部に近付く。灰はまだ8mmほど。横目に見上げている先にはテレビ。

「中で…中で出されたら後どうなると思ってんですかぁっ…?!」

これをされるのは一度目では無かった。それ故に今後自分の腹がどうなるかが見通せるので、我関せずの様子の土方に腹立ちは倍増する。
今手に持っているこれを振り下ろしたら、簡単に畳の上の男の頭を割れそうな距離まできた。勢いよく膝歩きをしてきたせいで股が気持ち悪い。その辺りにまだ鮮やかに残る鈍痛にも勝るほど。

「聞いてんですか?!」

本当に振り下ろしてやろうかと、いや、せめて真似事だけでもしてやろうかと、あまりのシカトに灰皿を持つ手を震わせる。
戦慄きが擬音を発しそうになっているその腕に、リモコンを放した手が伸びてきた。下へと引く。灰皿が畳についた時、土方は初めて山崎の方を見た。山崎は土方と目が合い、怒りの中に更に別の複雑な表情を浮かべた白い顔で、黙って土方の目を見つめ返す。
腕を掴んで屈ませてやるまでは、この三白眼の白い部分が上下逆になった状態で、自分を見下ろしていたのだろう。想像するとおかしくなって、灰皿に未だ手を添えている山崎の腕を掴んだまま、土方は微かに笑う。

その顔に腹を立てたのか山崎は眉毛をしかめて身を乗り出した。だが同時に、髪を押し分けて後頭部に滑り込む物があった。いつの間にか煙草を灰皿に置いた土方の大きな掌だった。
二人の瞳が、頭の位置は違えど、同線上で向き合う。
規定値よりは少々吊り上がり気味な目を持つ、端整な顔との睨み合い。山崎がそう一方的に取り決めた睨み合い。土方の射るような目にひるみそうになるが、今日は負けるか今日こそは、と、すでに揺らぎかけている決意を、結んだ口の中で一人ぶつぶつ唱えていると、首裏の掌が、引き寄せるように山崎の頭を下に押し始めた。

その力は、荒いわけではないけれど強い。この掌に力が入る時は、うるせぇ、といつもの調子で殴られる時だと思っていたから、そんな強さだったのが意外で、それどころかもっと意外な事に、視力の弱い者がするように目を細めながら土方の顔が近付いてくる。きっちりと閉じた口唇が凛々しい。
山崎の頭とそれに先導されて下降していく上半身とに比べれば緩やかな速度ではあるが、土方も上体を起こしているらしく、二人の顔と顔の距離が縮まっていく。
え…。山崎は戸惑った。後頭部にかかる圧力とは別の引力に吸い寄せられるように、いつの間にか山崎自身も土方の口唇がある方に徐々に体を傾けていた。後頭部に掛かる掌の重みを離さない程度に。隠蔽しつつ自発的に。

あと、約10cm。たったそれだけで触れ合ってしまう距離に差し掛かった頃には、山崎の目もとろりと溶けそうなほど瞼の隙間を薄くしていて、土方の口唇につられるように微かに口唇を膨らませていた。土方とは違い、僅かに震える歯を覗かせながら。

あと、5cm。さっきまでの怒りは何処へ行ってしまったのか、山崎は頬まで染めて心臓をドキドキと脈打たせている。こういうの…久しぶりかもしれない…。あ…俺、まだ裸だ。土方さんも…

あと、2cm。土方はさっき吸い込んだ煙草の煙を思い切り山崎の顔に吹きかけた。

咄嗟に何が起こったのかわからず目を見開いてしまったおかげで、山崎は眼球にまで煙の直撃を受ける。煙草の煙にも匂いにも慣れているが、こんなに近くで噴射されると、何か…色んなところが痛い。
目が痛い。こういう事をする男も痛い。まるで思春期の少年少女か、モテたためしの無いオッサンが若い娘に浮かれてやってしまいそうな真似だと、山崎は貶めの材料になりそうな例を頭から捻り出す。ついでに馬鹿な期待をしていた自分も痛い。あー痛い痛い痛い。
言葉も出ない。
山崎の頬はますます赤くなる。今度はこの心外の連続に。もし今自分の口がぽかんと開いていたなら、本当に塞がらなかっただろう。そう嘆ずる山崎の耳に、今度は白目でも剥いてしまいそうな言葉が届く。

「うるせーな、孕むわけでもあるまいし。お前が腹下すだけだろ?」

土方はそう捨てるように言って、後頭部に回していた手を更に後方に伸ばし、零れてくる精液やローションのおかげでぬるぬるになったそこに、つるりと中指の第一関節までを滑らせた。反射的に山崎の瞼とそこがぎゅっと締まる。背筋も反るほど伸びてしまって、両方の尻肉で土方の指を挟む形になった。

「ひっ…な、何するんですか?!抜いてください!」

斜め下に髪を振り下ろした山崎が、次上げたのは青い顔で、その上で開いた目は、情けなくいつもより垂れていた。土方は相変わらず瞳孔が開き気味のポーカーフェイスで、

「アホか。てめーでケツずらしたら抜けるだろ。」

今度は赤くなった。せわしい野郎だな、と土方は指を抜いてやる。
そして山崎の片腿を持ち上げて、自分の脚を跨ぐ格好にさせてやり、内側からおもむろに両脚で左右に膝を割ってやる。すると山崎は、油断で周辺の筋肉を弛緩させてしまっていたのか、ぽたぽたと微量の液体をまたそこから溢して、伴う悪寒に全身をわななかせる。
山崎の薄い脇腹付近の筋肉が微かに後方に移動する。
あ、締めたな。と土方はその一連の動きを観察した後、自分の精液で濡れた指を数秒見つめ、再び山崎の後頭部を掴んで引き寄せ、口の中に突っ込んだ。
山崎は当然気持ち悪がって指を吐き出そうとするが、頭を掴まれている力が自分には到底太刀打ち出来る物ではなく、首を振る事すら出来なかった。必死に土方の手首を握り、指を抜き出そうとする。うーうー唸りながらも噛み付いたりはしない山崎は、やっぱり馬鹿だと土方は思う。
後頭部の手を開放してやると、挿さっていた指を離した山崎の頭は、腕を握っていた力の反動で大きく後ろに反り返った。

喉で微かに音を立てて笑うと、山崎は掴んだままの土方の腕を軸に両腕を縮ませ、土方の眼前に上体を戻す。起き上がり小法師のようだ。土方は腹を捩る用意でもしようかと考えたが、起き上がり小法師は憎悪の目を向けている。しかもそれは思考をも停止させてしまうような、静かなタイプの憎しみでは無いらしい。内側で昂ぶりきった感情がまた涙腺を刺激したようだ。何か言いたげだが、顎に皺が寄るほど堅固に口を閉ざして、ひたすら涙目で土方を睨む。

「いてーよ、離せ。小法師。」

掴まれている手首を顎でしゃくって土方が言った。
山崎は意外なほど素直に、言われるままに両手を開いて、ぱたりと床に落とす。肩から力を抜くと同時に、土方の目を捕らえて離しそうになかった特徴のある垂れ目も斜め下に伏せた。
起き上がるまでは、襟首掴んでまだ少し味の残る舌を無理矢理突っ込んで、相手にも味あわせてやろうかと画策していたのだが、土方も自分と同じく服を着ていない。掴む場所なら肩なり首なりあったのだが、最初に計の巡った襟首が無いと悟った時点で気概は挫かれた。屈辱も恥辱も萎んでしまい、諦観の境地に至ったようだ。

そんな山崎の、他の体格の良い隊士達と比べれば随分細い二の腕と、うっすらとあばらの浮く脇の間に腕を滑り込ませ、土方は自分の胸の中に抱き込んだ。性交の後のせいか、お互いの体温がより高く感じられる。

「???」

土方の腕に浮かされた自分の両腕のやり場と、土方のまるで優しさのような唐突な行為に困惑して、所在無さげな瞬き一つ出来ない。
土方が耳元で問う。

「腹、いてーか?」
「…いえ、まだ大丈夫です。」

土方の声は猫を撫でるような特別優しい物ではなかったが、普段の会話の時のその調子で、山崎は充分に安心し、一つ瞬きをする。
本当は少し痛い。まだ外に腹の鳴るのが漏れない程度にだが。
少し躊躇いながら、山崎も土方の鍛えられた上腕に腕を添えて、自分より一回り大きな胸に身を傾け、土方の方を向いて問い掛ける。

「土方さん」
「ん?」
「こぼしってなんですか?」
「起き上がり小法師」

もうなんだよそれもう…さっきの俺ですか?小馬鹿にされてるらしいのに、胸裏に浸透してくる情動はしっとりとしたもので。その流れのままに目を閉じて、もうすでに肩にくっついていた側頭部を自分の方からも預けた。とくとく脈が耳を打つ。耳も脈を打つ。
そう、だ。さっき思った事。今なら聞けそうな気がする。

「土方さん」
「ん?」
「なんで、あの名前…とか言い出したんですか?」

そしてやはり、最中じゃない時にはさらっと名前を呼べるのだ。ちらと上目で土方の声が降りてくる方を見て、言葉を言い終える前から答えを待つ。今体を少し離して対面に居たとしても、正面から見据えるのは、何故かどういうわけか、とても無理そうだ。こうやって体がくっついてて良かったと思う。
だが、間髪入れずに返ってきた答えは味も素っ気も容赦も無い物だった。

「なんかマンネリだったから。」
「…え?」

血の気も引く。前言をぐちゃぐちゃに塗りつぶすように反射的に首を上げて土方の顔を見上げる。一見クールな男前、つまりいつもと変わらない顔をしばし呆然と見つめる。
その顔でさらりとああいう言葉を吐いたわけですか。
正面じゃなくてよかった?体がくっついてて良かった?は?
今日一番のショックだ。
出して時間の立った精液を舐めさせられるぐらい、相手がこれじゃあ有り得ない話では無いと、山崎は思った。
とん、と山崎の胸を押し、土方は体を仰向けてふんぞり返る。

「いいからさっさと便所行けよ。」

頭にした地点のすぐ傍にあった煙草の箱に手を伸ばす。

鬼だ。鬼がいますよここに鬼が。人の顔した鬼が居ます。人の顔でしれっと暴言ですよ。
今日や昨日やその前にも数々あった寝所での横暴の類も、所詮この関係は精神面では自分の片思いであるという実状を悪びれず理解する事で、山崎は自分に均衡を保ってきた。よく我慢をしてきたと自らを労ってやりたいところだが、そこまで自分贔屓に甘えた見方をするつもりは無い。土方を貶める気も無い。受け入れてるのは自分だから。だが。納得がいかない。
マンネリ?俺ってそんな粗悪品?や、つか俺とはマンネリ?
曲解にまで至りかけている事はわかってはいるが自制が効かない。納得のいかない言葉。
自分がやりたい時にやるくせに。こっちからやりたいなんて言った事があったか?だいたい…
手を出してきたのはあんたの方じゃないか。

言えば自分のみを崩壊させてしまいそうな言葉が、山崎の胸中を駆け巡り虫食みを広げる。
とうとう腹も鳴り出す。とにかくここに居ては駄目だ。すでに思考の前後も支離滅裂である。聡い山崎は自分の冷静さが完全に崩れてしまう前に、ここを立ち去るのが最良の選択であると察知した。腹の事情を別としても。

土方の体から這い降りて、畳の上に散らばっていた自分の衣服を胸に掻き抱き、どうにか立ち上がってがさがさと袖を通す。
寝巻きの浴衣のまま来て正解だった。もう日も昇りきっているっつーのにだらしがねぇ、と、部屋に入るなり一喝はされたが、…でもすぐ肩のところや前の開きや帯を緩めたり閉めたりして遊びだした…
とにかく。こんな状態、主に心境で、上手く袴なんか穿けるわけがない。腹は痛むわ、それ以上に腹が立つわ。袖一枚に腕を通すのでさえ肘の関節がもたついて上手くいかない。帯を締める指がわななき、加減が出来ずに締めすぎて鳥肌が立つ。
その気配を感じてか、土方は寝転んだまま、テレビの方を向いたまま言い放つ。

「ここで漏らしたら切腹じゃ済まさねーぞ。」

帯を引っ張っていた手が硬直し、そのまま結び目がばらけて帯が落ちた。山崎は土方をきっと睨み、帯を拾ってテーブルの向こうへ小走った。
襖戸を前にして向き直り、再度睨みつけたが、向こうはテレビの方に目をやったまま、組んだ脚をぶらつかせている。
浴衣の前を合わせてぎっと握り締め、大きな音を立て殴りつけるように襖戸を開け放って出て行った。

おいおい、戸ぐらい閉めてけよ。咥え煙草の口の中で、篭るか篭らないかの小さな声を響かせる。両腕を枕にし、脚を落ち着かせてテレビに見入る。丁度主題歌後のCMが終わったところだった。
非番の際や、夜中にまで及ぶ任務が無い日には欠かさず見ていたドラマの再放送。今日は惜しくもビデオを撮り逃してしまったあの回だ。



一時間弱の放送が終わっても山崎は戻ってこなかった。特に用が残っていたわけでもないし、それは山崎の勝手なのだが、土方は厠の帰りついでに監察部の部屋がある方の廊下を曲がっていた。
部屋の戸を開けると、案の定山崎はそこに居た。扉に背を向け、灯りもつけずに正座している。追々帰ってきだす隊士達の目を気にしてか、ちゃんと寝巻きではない服装に着替えている。土方が声を掛けても頑として振り返ろうとはしない。
なんだ何を拗ねているんだ。
他二名の監察は出払っているようなので、後ろ手に戸を閉めそのまま中に入る。
まだ夕刻でいくらかの光は射しはするが、廊下側の戸を閉めただけでこの暗さだ。格子窓から射す分があるからと言っても暗すぎるだろ、アホか。アホで根暗かコイツは。
そう心中で憫笑しながら土方が近付いても、戸の開く音以降ぴくりとも体を動かさない。

「山崎ィ?」
「…。」

珍しく土方は痺れを切らす事もせず、小さい背中に覆いかぶさりうなじと、それから持ち上げて上向かせた口唇にキスをしてやったが、機嫌を直さないので、土方は再度山崎を犯した。
正確にはさっきのは和姦だったが、今回は強姦の文字通りに強引に犯した。途中何度もごめんなさいを言わせながら。