-鼓動するときに- アンプに繋いでいないギターは弾かれると僅かに弦を震わし、踊り場の静けさの一角に切り込んだ。 コードを挿してやった時とは違う、思い切り引き伸ばした輪ゴムを爪弾いたような、そんな安っぽい空音が響いてるだけに聞こえる。 「何してんだそんな音の無ぇ玩具。」 階段を登ってきた高杉は、体一つ分を離して万斉の隣に腰を下ろし、きついペプシを嚥下してから万斉に尋ねた。 「運指でござるよ。」 変わった話し方をする。 「それにちゃんと聞こえているでござる。」 こんな風に暇さえあれば弦をいじり、普段から時間が許せば音楽を聴いている人間の耳は、吸収出来る音の数が違うのだろうか。 万斉の頭の中では今ひっかいた部分も、すでに指を走らせピックを上下させるその前から、エフェクトを通されて広がりを持った音に変換されている。 これを音にする器具に繋いだ時とかわらない調子で掻き鳴らす。 隣にすわるとなんとなく、こういう曲なんだろうかと浮かび上がってきはする。コードを繋げて再び奏でられると、同じ場所をたどっているのに予想もつかないアレンジで違う物になっている。 生物でするように音楽を解剖したり、技術でするように音を組み上げたり。それは高杉には一つとして理解の出来ない工程で、またわざわざそれをしようとする意味もわからない。 「めんどーじゃねえ?テメェのやってる事。」 「そこも含め面白い。」 「ふぅん。」 高杉は興味も無さ気に万斉の隣、最上階踊り場の壁に背中を預けて足を投げ出すが、耳は万斉の指が流す音に傾いている。 子供の玩具のギターよりも小さな音のくせに、妙に硬い。ゆえに一つ一つの音にそう大差は感じない。 「遅かったでござるな。」 「ああ。」 「何処に寄ってきた?」 「…準備室」 「何の?」 「なんでもいいだろ。もう用は済んだ。」 万斉には関係無い事だ。 授業で使う資料やら、国語科教諭用の教育書、ロッカー、職員室と同じようなデスク。 それらが窮屈にひしめき合う、各科教員用の詰め所も兼ねた狭い部屋。 一年の時担任だった、銀八の娯楽室でもあり。 乱雑に積み上げられた少年誌やエロ本の上に同じように俺を置いて奴は俺を愛撫する。 俺だけ徐々に剥がされ、煙草の煙が高濃度で溶け込むこの部屋の空気の中に晒し出されていく。そのまま机の上、奴のスペースの上で、触覚まで暴かれる。 最終的に上半身は下着を鎖骨あたりまで捲し上げられるだけでシャツも着たままの中途半端な状態で留まったが、トランクスとズボンはもっと中途半端に宙ぶらりんに片足にひっかけられた。今日も奴は着衣のまま。いつ誰が入ってくるかわかんないでしょと、いつもの理由で足さえあらわにしなかった。 尻は机上についてるのにバランスが取れない。宥めたり賺したりされる性器を中心に、体中に伝播する浮遊感は末端にいくほど大きくなり、腰の浮くような感覚に突き上げられ、支えを求めて指が空を掻く。日常に無いその行動の理由に不安だとか焦燥だとかいう名前がつく前に、体から追い出そうと下半身に埋まってる銀八の頭に手を乗せるのだが、奴はそれを許可しなかった。 結局一回臨界に達してしまうまで、腕は何度も掃われた。 それまでに濃縮して高潮しきった性感が突き抜けて、戻ってきた体には残った余波に抗う気力も湧かず、銀八と向かいの教諭の机を床にただ背を投げ出す。 が、すぐに掬い上げられ奴の肩の下に引き寄せられ、やっと解放されたのを安堵する間も無く、今度は後ろに回されたぬるついた指で、穴やら袋やらを弄られた。 汚ねぇ事、すんなよ。何度目になってもそう思うくせに、覚えてないけどいつからかそれを声にしなくなってて、心の底からこの行為を拒絶出来る人間じゃなくなってた、俺は。 その後は。いつものように。下ろしたチャックの合間から伸びる奴の性器に引っ掻き回された。 あそこの娯楽のお相手が俺だけなのか、そんなもんは知らない。そんな事探るような関係じゃねぇし。って俺は思う。あいつからもその事に関して想定を釘付けるような言葉は出ねぇ。 こんな状態で人なんか来たら、俺こそどうすりゃいいんだよ。奴の言い分に対してそんな当然の切り返しが出てくんのはいつも、始まった直後と全部終わってしばらくしてからだけだった。 凭れた壁から浮いた首の隙間の辺りにゾワゾワとあの感じがはしる。 時折それとは直接関係の無い生活の合間に、背後から首筋に這わされる舌の生温さがそこに忠実に蘇ってきて、そうされる時の襟足を掻き上げる指の感触を思い出しただけで体が波打ち首から遠いあそこまで熱くなる。 耳たぶを口に含まれただけで俺の体は奴が着てる白衣みたいにくたくたに糊が抜けちまって、何処かに腕をつけていないと崩れそうになって、でも奴はそのまま床まで落ちてしまう事をいつも許さない。胸下に回された腕が頑としてそれを許さない。足は浮きそうになる。その事も感触と共に蘇ってきて、その時間じゃない事に気がつくまで体が勝手に悶えてる。俺は一体何考えてるんだって自分の気持ち悪さに反吐が出る。 「晋助もやってみたらどうでござる?」 万斉がおもむろに切り出したおかげで、今また気持ち悪いところに入りかけていた意識が収束する。 「あ?何を?」 「楽器でござるよ。拙者の家に何本かあるでござろう?どれか使うといい。」 「…興味ねぇな。」 いつの間にか万斉は猫背になって腹の下にギターを抱き込んで、こちらを覗き込み笑ってる。サングラスと赤い夕日のお陰で目はよく見えないが。 向こうの腕を俺の頭の後ろに伸ばしてきて、反芻の余韻の残った後頭部を引き寄せ、鼻のてっぺんと眉間の中間あたりに口付けた。 肩を引いてしまったのはまたアレがせり上がってくるのと共に俺のやましさを悟られないかと気後れたため。 「やめろよ…。」 口唇を離して万斉がクスリと笑う。 「晋助は良い感性を持っていると思うんだがな。」 「んなもんねーよ。」 こいつは知ってる気がする。俺は隠し切っていないような気がする。 隠す必要。俺が男とあんな事までしてるなんて気持ち悪いだろ。当然だ。 なのに万斉がこういう事をしてきても殴ってやろうなんて気が起きない。気付かない内にこういう事に慣れている自分がいる。 銀八とだって、どんな弱味を握られてるわけでもないのに、どっちかつったら奴が俺にしてる行為こそが奴の弱味だってのに、呼び出されるままに準備室の扉をくぐってる。 飲んでもねーのに飲まれている。つー事は素面で。素の状態で。 目を伏せて閉じて瞼を、眼球への圧力を徐々に強くするとくらくらと眩暈の気が押し寄せてきて、そのまま意識の全部を預けたい気分になった。 その瞼の上を後頭部から滑ってきた万斉の指がゆっくりと撫でた。力が抜ける。 こいつが何も言わないのを良い事に胡坐かいて、何がしてーのか俺自身わかんねー。 これ以上俺に入ってこないのを良い事に、俺は万斉の肩にくらめく頭を凭せ掛けた。 その骨迷路のように絡まった頑迷の奥にある、至純の歯車の軋む音で紡がれるであろう複雑で張り詰めた高杉の旋律を万斉は未だ聴かずして感じる。 幾重にも重なった不協和音の底にある心臓。誰も近寄れないほどにそれは鋭利に研ぎ澄まされて透明なのだろう。 |