松陽の使いの帰り。もう太陽は雲に茜の色を差して、遠くの山間に飲み込まれようとしている。
夕日はなんで赤いんだろう。青じゃなくなる低空に、ずっと抱いてた疑問を短い質問文のかたちに出来た時、俺の周りにそれを問える大人は居なかった。どんなに不思議に思っても、解決しないという事はそういう事なんだって、答えが無いのが答えだと思うようになって少ししてから、俺は松陽っていう大人と出会った。



最初の記憶がいくつの時のでどんな事だったのかは覚えていない。
多分物心というやつがついた時には俺は川原に居て、同じようにそこに来る前をろくに持っていない子供数人で橋のもとに寝起きしていた。

この土手を登ったところにも同じ背格好の子供はたくさん、俺達よりもたくさん居たけど、どういうわけかそいつらはみんな、俺達と違う肌の色をしていた。ところどころこっちと似たような肌の色になっている奴らも居たけれど。俺らも傍の川で洗ったらそん時は同じ肌の色になった。でも濡れた体にはまたすぐに砂埃が張り付いて手も足も腹も白くなる。しばらくしたら泥色と砂色の斑になる。で、どんどん真っ黒になって落ちにくくなる。

俺らの中で俺が違った事と言えば、着の身着のままの汚い格好は一緒のくせに、何故か俺だけ、大人の持つような大きくて立派で不釣合いな刀を持っていた事と、刃と同じ髪の色だけだ。なんでこんな物を持っているのかわからなかったけど、握っていないとどこか落ち着かなかった。
食うに困ってるんだろうそれを売ってきてやるという奴が現れても、絶対手放さなかった。こんな奴ら信用出来るか。ここに寄り付く大人は、皆一様に雨で濁った川べりよりもずっと淀んだ目をしていた。

奴らは俺達に仕事を持ってきた。これをあそこの辻を西に曲がった先にある橋のたもとまで運んできてごらん、ちゃんと遣いが出来たら賃金をやろう。北だったり東だったり寺の前だったり船着場だったり。けど、そう言われて提示された額を手に出来たのなんて最初の一度きりだ。
持たされた包みを言われた通りの格好の人間に渡し終えたら、いつも決まって物々しい顔をした男達が現れ、追い回される。絡まりそうな手足を必死に前に掻き続ける。どうして逃げているのかわからない、でも逃げなければやばい。迫り来る怒声はまるでよく伸びる手で、後ろから心臓を掴まれ持っていかれそうな恐怖ん中、胸に入る息は次第に冷たくなってくる。
土手を転がり逃げ切った先で待ってるあいつらは、俺らの血相を見てヘマをしたと詰り、平らに割った竹で体のあちこちを打つ。ただでさえ歪んでる口元をもっと吊りあがらせて、どす黒い窪みの真ん中でギラギラする二個の目玉は、撓る竹の音に取り憑かれているようにも見えた。
こいつらは嘘付きだ、最初から言ったとおりの金なんか渡す気は無いんだ。わかってたけど、奴らが置いていく最初の約束の10分の1にも満たない小銭にすらすがらないと、俺らは生きていけない。

生きる事っていうのは食う事だ。奴らが来る前だってそれは変わるはずも無く、金を得る方法を知らない俺らは口に入る物を探し歩いた。
どうしても見つからない時は盗みでそれを得た。動ける奴みんなでこそこそ上に出て、店先に並ぶ食える物か用心の足りない奴の懐の物をギッてきて、小さい者や収穫が無かった奴にも分け合う。俺ももっと小さかった時はここでじっと待っていた。
けっこう上手くやってたと思うけど、夜になって誰か一人でもここに居ないと不安で仕方なかった。両手に何も持ってなくても日が落ちきるまでには帰ってくるのが俺達の一番の掟だったし、帰れないほど遠くに行って迷子になんてなるはずも無かったし、だから暗い橋の下で一つでも顔が足りない日は、あいつはもう帰ってこないんじゃないかって、どんなにみんなで寄り添いあっても怖くて寒くて眠れなかった。本当に帰ってこなかった奴も居たから。
帰ってくる奴は。夜中か次の朝早くに鈍い音がして駆け寄ると、鼠に食い荒らされた米俵みたいにボロボロになってそこに転がっていた。

俺がまだ盗みに出られない頃、二人そのまま動かなくなった。
俺らん中で一番背が高くて、年も多分俺らよりいくつか上の姉ちゃんがそいつの体を抱えて、少し川を上ったところに茂ってる背の高い草原の辺りまでみんなを連れて行き、泣きながら穴を掘った。他の奴らもそうするので俺もわけもわからず手伝っていた。姉ちゃんが手を止めるまでは長い時間が掛かるのに、動かなくなった奴の体はやっぱり動かないままで、その穴にそいつの体を入れて土を被せて、姉ちゃんのやる通りに手を合わせてから何日経っても、その土の上を叩きに行っても、中の奴は出てこなかった。あいつはどこに行ったのかって聞いたら姉ちゃんが泣いた事だけは覚えていて、二人目の時、また姉ちゃん達が泣き出したのを見て、俺も悲しくなって一緒に泣いた。そうやって減ってしまったと思ったら、ある日突然ぽつんと俺より小さいガキが増えてしまったり。
また同じ人数になって、また寒い時期が来た。

寒くなるという事はまたあの恐怖に怯える日がくるかもしれないという事だった。誰かがまた土手を転がされて、もしかしたらそれから何処かへ行ってしまうかもしれない。拾い集めた布に包まって、出来るだけ腹が減らないように、出来るだけじっとして過ごした。
盗みを俺も一度失敗した。
何か掴んだら、店から人が出てくる前に、銭入れの持ち主が振り返る前に、とにかく走れと言われてたのに、しくじった。髪が引っ張られたかと思ったら、地面から足が浮く。次の瞬間背後からの衝撃で地面に吹っ飛ばされる。殴られてるのか蹴られてるのかも段々区別が付かなくなっていき、その間何度も地については宙を舞う。しまいには目も口も開かなくなって、指一本でさえ動かす力は無くなった。どれくらいの時間が経ったのか、俺も土手の上から捨てられていた。姉ちゃんは他の奴にもしたように、川の水で濡らした布で俺の体を拭ってくれた。冷たい川につけた手は、いつもの姉ちゃんの手とは思えないくらい恐ろしく冷たかった。橋の下で何日も眠った。川の水は冷たいのに、姉ちゃんは毎日血が出てたとこを拭いてくれて、毎日俺の藁の上に敷く布と体に掛けるたくさんの布を取り替えて洗ってくれた。俺は何処にもいかずに済んで、ここで動けるようになったけど、あのまま、指の力も出せなくなってたら俺も土の向こうに行ってたんだろうと、姉ちゃんの指を握りながら思った。

あの大人どもが来たのは、それから少し温かくなってから。あっちから話し掛けてきたくせに、えらく横柄な態度だった。上の町の奴らも俺達の事はゴミを見るような目で見るけど、わざわざここに降りてきて俺達に係ってきはしない。えらくいけ好かない奴らだったけど、一方的な言葉に耳を傾けてみれば金をくれるという話だったので、俺らはやる事にした。
土手に屯う性質の悪い子供を使うような、物好きな商家なんて無い。こっちだってしなくていいんなら盗みなんかやりたかなかった。寒い季節が来るたびに誰かがボロボロになるかもしれないのは怖かった。最初に言われた通りの事をした時は上手くいって殴られなかったし、金も貰えた。
二度目に追っ手が付き打たれた。子供の俺にそんな力は無かったかもしれないけど、刀を抜いて奴らも同じよう打ってやりたいと思ったのを、姉ちゃん達に目を塞がれ止められた。三度目からそれ以降も同じ事が続いたが俺達は順番に竹で打たれた。
あいつらの追っ手は、子供の俺らに一度も追いついた事が無かったし、少ない銭でも銭は入る。奴らは動けなくなるまでは殴らない。仕組みがどうだってどうでもいい。





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