-isohel-



ふとした悪戯心から思った。
好奇心。
先生もするのだろうか。
誰かのやらしい汗ばみを浮かべ、滾るように充血したそこをコシコシと。

海綿体にたまった欲望の塊を。
俺はあの糞生意気な晋の顔めがけて発射する。
眉を寄せてあいつもびくんびくん体を悦びでうねらせる。
なにしろ俺の頭の中だから。

いつも桂につっかかってばかりいる、俺の事は鼻先にも止めない、小奇麗に御高くとまったあいつを。
でも値打ちこいてるだけじゃない、俺筆頭にボロ布みたいなガキとは何か違う。

そんなあいつの綺麗に切り揃えられた髪に、いやっていうほど俺の汗の匂いをすりつけてやりてぇ。
いつも松陽ばっか追ってやがる目を俺に釘付けてやりたい。

なんて考えてた頃は子供だった。
想像力も追いつかず、安物のポルノ程度の浅い夢。




「おい。晋。」

今日はつっかかってくるか?
それともシカトか?

「…。」

ヅラにでもやりこめられたのか、不機嫌らしく聞こえませんを通している。

「返事が無い。屍かお前は。」

誰が見てもわかるほど立腹で引き結んだくちびるを斜め天に向け、すたすたと俺が座ってる地べたから遠ざかる。
小さい体の小さい足を木槌みたいに床に打ちつけて、本当にわかりやすい奴だ。

「おい!晋!晋ちゃーーーん。」

逆撫でするのはわかっててそう呼ぶ。
むしろそれが目的だ。ようは声を出させるか振り返らせるか、反応させさえすれば俺の勝ち。なんとなく、勝ったような気がする。

「うるさい!貴様に馴れ馴れしく名前で呼ばれる筋合いは無い!苗字で呼べ!」

こいつはヅラか。
もう少し前からそれっぽいと感じていたが、なんだかんだじゃれてるうちに伝染っちまったのか?あの武士道口調が。

「あーなんだよ、おめーは俺の事銀時って呼ぶだろうがよ。」
「そんな事は関係無い!名前で呼ぶと返事はしないって言ってるだろう。」

ふん。ヅラだっておめーの事時々名前で呼んでんじゃねーかよ。

「晋俺の事銀時銀時って呼ぶくせに俺は晋の事晋晋呼んじゃいけねーのかよ晋!」
「鬱陶しいな、なんの用だ一体!」
「用が無かったら呼んじゃいけねーのかよ。」
「呼ぶな。無いなら俺は急ぐ。」

ちっ。本格的に機嫌が悪いらしい。
あ、そうだ。

「松陽が探してたぜ。」
「先生が?」
「ああ。何の用かは知らないけどな。晋助見かけたら部屋に呼んでくれって。」
「それならさっさと言えよ。あと先生を呼び捨てにすんなよ!」

踵を返し、俺の前を去っていく。
松陽の言伝内でなら、名前呼び捨てにしても怒んないのな。
思いがけず廊下の向こうにこいつを見つけてすっかり忘れていたけど、さっき松陽が晋を見かけたら呼んでほしいと言っていたのは本当だ。 何の話があるのかは知らないが。
さっさと俺の前を通り過ぎ、さっきより幾分軽やかに見える晋の足取りを見て、俺は少し松陽の先生という立場を、晋に懐かれているという身上に、一人イライラと強情を張りつつ羨んだ。

晋の曲がったのより先、歩いて来た方の廊下の奥を見ると、並んだ庭石の上をヅラが歩いていた。

子供のくせにりりしく整った面は、武士というより西洋の少年騎士のそれを何処か湛えている。その顔がこちらに気付きぽつりと一つの石の上で止まったので、返事をしない晋を羽交い絞めにしてやろうかと立ち上がったまま手持ち無沙汰だった俺は、刀を握り廊下を飛び降りてヅラに走り寄った。


「おい、ヅラ。高杉の奴―――」
「銀時。廊下を走ってはいけないと松陽先生が言っていただろう。」
「ばーか松陽は話しのわかる奴だ。いちいちそんな細かい事に本気で目くじら立てねーよ。」

それに廊下じゃねえよ土の上だよ。ちゃんと下りてから走っただろ。
なんとなく高杉の事を聞きそびれて、砂利を小さく蹴る。

「で、何か用があったのか?」
「いや。」
「なんだ?さっき何か言いかけてなかったか?」
「忘れた。」

よく考えたら別に何を話したかったわけでも無い。何も考えずに縁側の廊下を飛び出しただけだ。
適当に目を泳がせて結果空を見上げる。

「なんだそれは。つい今しがたの事だろう。」

そりゃあそうなんだけどよ。
機先を制されて何故か聞くのを躊躇っちまう。何故だ。俺にもわかんね。

「銀時。鼻をほじるのはやめろ。粘膜を傷つけてまた血を噴き出すぞ。
 あと、先生の事を呼び捨てにするもんじゃないぞ。」

ああ。また小指を鼻腔に突き刺していたらしい。つい癖で。
深追いが過ぎて何度か授業中に鼻血を垂れ流したのをヅラは思い出したらしく、見咎めるように俺の目を覗き込む。
男のくせに瞼の上で切りそろえられた前髪が妙に似合う。女児に見紛われる事もあるほど…大人の会話に聞いた目千両とはこういう目の事を言うのだろうか。よくわからないけど、千両位の価値があるらしい。
遠目には表情までは見えなかったが、…もっともこいつはいつも真面目腐った顔をしていて、余程大きな喜怒哀楽でも無い限り表情の落差は少ない方だが、近目に今、やはり不機嫌の影は無かった。それ以外の色も無い。顔だけじゃほんっと読めない奴。

でも晋と同じ事言うのな。双子かよ、てめーら。

近くにあった椋の木に目を寄せると淡緑色が群がっていた。
何をしたわけでもないがお互い少し長めの一息をついて、どちらからともなく歩き出す。俺が走ってきた方向に。
ヅラが左手にきたので、刀を右手に持ち替えた。

「そうだ銀時。東行院に付き合ってはくれぬか?」
「あ?いいぜ?」
「家も近所なので高杉と行くよう言われていたのだがな。あの馬鹿突然愚図り出しおった。」
「なんで?」
「知らぬ。先方から託る荷が少々重そうゆえ、もう一人誰かに付き合ってもらった方がいいんじゃないかと提案したら急にな。」
「なんだよおめーそういう荷物があるとかさー先に言えよー。めんどくせえな。」

そんなところだろうと思った。
なんとなくさっき口に出しかけた問いを窄めてしまったのを、ヅラかまたは誰かにぬけぬけと見破られてるような気がして、ヅラの他には誰も居ないのに気まずいような気恥ずかしいような気がして、その些細な重みを誤魔化そうと体が勝手にそうしているのか、俺の歩は軽やかにヅラの一歩前を弾んでいた。

ちょうど三叉になった廊下の曲がり角手前で松陽の部屋から帰ってきた晋と出くわした。
先程と違って顔色は明るい。どんな用だったのだろう。それを伝えた時には気にならなかったのに、急に松陽の呼び立ての内容や部屋内でのやり取りも知りたくなった。
こちらの顔に気付き口を開きかける。
が、一足分ほど後ろにヅラが居るのを見つけたのか、そのまま声を発する事無く顔を背け、背中を向けて前方を猛進してさっさと次の角の向こうに消えていった。

「どうしたんだ?あいつ」

ヅラがきょとんと目を丸くする。珍しく、よくわかる。



晋がこうもむらっけを発していた理由を明白な言葉としてわかりかけてきたのは、俺も他の奴等もかなり背が伸びてからだった。
それが見えてくると同時に、あの時どうして晋が臍を曲げたのかその理由も明らかな動機を示してきそうだったが、何もわざわざそれを正視しなくてもと、その頃の一挙手一投足をただの過去の一角として追いやり続けた。





次 →