-あたしはたぶんツバメ-



空がないと飛べない―

そんな歌が、偶然ヘッドホンに合わせた電波から流れ込んできた。


交渉をほぼ成立させ晋助達と合流して、この海賊の船に逗留して4日。
今頃地上に敷かれているであろう厳戒態勢の緩む隙を見つけるまでには、同盟の締結も滞りなく済んでいる事だろう。

焼けて崩れる船から飛び降りた二人は、話に聞く晋助の幼馴染だったようで、面と向かい相見える機会を先延ばしてしまったのを惜しく思う。
あの日の晋助は、不自然なほど、いつもの晋助だった。

穏健派と成り代わった桂は腰を据えた抜本的な政治改革を唱えるようになり、それに刺激される者も少なくはないらしく。桂の牽制の成果もあって、攘夷の思潮はゲリラ的な戦法を捨て、権利の中央へと目を呉れ始めているようだ。


この男には全く興味も縁も無い新しい明日の建設。



「晋助、空は寒い。風邪をひくぞ。」

空中は風が強い。
髪が流れ貼りつくのもおかまいなしに晋助は空の中に佇む。

「…」

こんな何も無いデッキで何も無い空を日がな一日見つめて、楽しいものだろうか。
晋助は空が好きらしい。高いところが好きらしい。

拙者はオフのたび遅く起き、目覚めのたび眠りにおちるまで重なっていた、華奢な体の行方を探す。
探すまでもなくいつも、晋助は同じような場所に居る。
見つけそこなった事はまだ一度も無い。
晋助は空が好きなようだから。
もう体の隅々、何処にも知らぬ場所など無いし、震えたり甘くくぐもったり、時に意外ささえ見せる声も、かなりのパターンを聞いた。拙者の体と音に体を揺らす晋助には何処かまだ慣れない様子も見受けられ、かと思えばひどく蠱惑的に挑発を見せて。背中に絡めてくる腕、その先の指がまるで覚束ないような動きで拙者の背骨や肩甲骨をはじく夜を、もう何度も過ごした。
一見情の絡んだような関係。

けど時折、お互いを右手にしているような錯覚に陥る事がある。

左目の影が、いやに目の端から消えない時などはそうだ。体の事は全部知っているのに、その布っきれ一枚奥の事は知らない。セックスとキスとそのきっかけと同じ軽いノリで探ってしまおうかと思うが。
まだそれはしない。
拙者はまだ、この男の掌を打つ真新しい楔一つ見つけていないのだ。

知った時。繋いだ時。
その時どんな反応をするのか。
それ一つにもまた、たくさんの音が生まれる。

今よりももっと。
だが、今ある音はその時は…

「なぁ空はここにあるのによォ。近すぎて届かねぇよ。」
「笑ってくれ――」

何処か寂しげな笑みを浮かべた晋助が呟いた。空に。
未だ見ぬ暗がりと杞憂に、拙者も空気と変わらん物になりかけたところを、この不意の呟きに引き戻されたようだ。
しかし可笑しな独り言を…。誰に微笑みかえしてほしいのだ。誰かが聞いていたら笑われるぞ。頬が紅潮して…もうその中も空に近いのでござろう。

「もう陽も落ちてきて、ここは地上より寒い。中に入らんか?」

「…」

カラン…

持ち上げた手に重みがなかったらしく、晋助は瓢箪をデッキの床に転がした。
ひさごの丸みを好む指は、鍔迫り合いを一笑する者の手とは思えぬほど、白く薄い。
拙者はそれを取り、部屋を出る際一緒に持ち出した酒瓶をその都度瓢箪の口に傾けてやる。
なみなみと酒を注いだ瓢箪を渡すと、またコクリと喉を鳴らす。


コクリ


またコクリ


まろばすような良いリズムで。

今晋助を取り巻いている時間は、この速度で進んでいるのでは無いだろうか。
そう錯覚しているのは拙者の方かもしれない。

音で表の身を立てている者が己の拍節を惑わされるとは失笑物だが、晋助が作っているリズムは、居心地の悪い物ではない。

だからこれくらいの世話は焼いてやる。
だが、一升はあったこの瓶ももう底が近い。


太陽の傾いた空中は着込んでいる拙者にも冷えを感じさせてきていた。
上着を脱ぐと拙者が寒い。凍えるのはごめんこうむりたい。
ボタンを外し開いて、背後から瓢箪ごと晋助を包む。
抱き込んだ体の冷たさにピシと産毛を撥ねられるような感覚を覚えるが、すっかり酒の回った体の奥は熱く、体表の冷気はすぐに溶け、上着の中の温度をさっきより高くした。
どちらが温められているのかわからないでござるな。
晋助にはとくに反応は無い。唐突に抱き込まれた事に動じるでもなければ拒む風もなく、回された腕と布の合間から瓢箪を持った腕を抜き取り、コクリ―
またコクリと。


ただ広がっているだけで求める者の在りやしない。
そんな空もその下も、全て壊してしまいたいのだろう。
敵も味方も無関係な民衆も嘗ての朋友も自分も、この空の下のうのうと産まれ落ち育ち生きる命全てを。
いっそこの星の空が消えてしまえばいいと思っている。


こいつは狂うてござるか?坂田銀時よ、桂小太郎よ。
この男は狂ってはいない。
閉じた世界を完結させる為に自らで身を焼くスケープゴートだ。


先日のあの折に、貴公等の姿に顔を向けた晋助が、何故か岩場で翼を休めるツバメのように見えた。


空。
晋助に空は戻ってくるだろうか。
それは無い。同じ空は無理な話だ。
なら新しい空が。

先刻ヘッドフォンより流れてきたフレーズが不意に重なる。
ツバメは結局空が無いと飛ぶことは出来ない。

こいつをもう何処にも縛りつけないで飛ばせてやれる新しい空。
かつてそうであった空があったのだろう。
拙者はちと畑違い。ただ在るだけというのにも魅力を感じん。
岡田のように髪の先から爪一本余すとこなく心酔して、侵食されてしまうような輩はその類ではない。躍起は惨めにも裏目に出て、彼を忌々しい地上に括り付けてしまう細い紐。なれてそれがせいぜいだ。


「この時間だ。今日はもう陽は射さないでござるよ、晋助。」

コクリ

彼の薄い腹に回している腕を持ち上げて、この良い音を鳴らす喉笛を上下になぞってやりたくなった。
今では無い時に何度もしたが今、それがしたい。
が、今日此処ではこの要求を素直にままに遂行する気は起こらない。
してしまえば、少し窮屈そうに抜き出した腕からも、瓢箪を奪い取ってこの床に押さえつけてしまうだろう。
まだ地に降りて離れるまでにも時間はある。我慢も一興。



彼らが学び舎を共にし戦火をくぐり抜けた少年の頃から経過した年月は、無味乾燥に言ってしまえば『割り切る』に十分不足しない時間を含んでいた。
その頃に剣をとった元侍達も、それぞれ遺恨は胸にしまい、もうこの世の中を通常の今日にして生きている。
外様となった過激派。空に焦がれるこの危険思想と共に強攻を繰り返す我等は、今の時代においてはただの夢想家にしか過ぎないのだろう。
だが近い日にそれを現に変えるつもりだ。
晋助に、むざむざ身を焼かせるつもりも毛頭無い。



なぁ、坂田銀時、桂小太郎。
拙者次の夜は、こんな固い地ベタになど、座っていられないようなプレイを敢行しようと思う。






なんか実際に多分似たような歌を聴いた事がある気がするので、歌の元ネタはそれです。
陽は一応松陽先生の陽と掛けたつもりだったりします。