「で、どうやって警官なだめたんだよ?」
「伊達にこの辺の年増連中仕切ってるわけじゃないよ。」

かぶき町四天王、括弧おばはん代表はすげーって事か。
一言も二言も余計なんだよテメーはっつって婆さんの神妙な顔が鬼婆んなった。

「そうか…。まぁこれ、使ってくれ。」

さっきサルベージした、凹みの浅いまだ見場のこマシなボウルをカウンターに出す。

「なんだい?これ」

10個分のゆるい液体。

「殻浮いてんじゃねーか。」
「うっせーな。取れよ。ババァはそういうの得意だろ。」

そこそこ重量のあるボウルを片手でカウンター内に入れると、婆さんは腕を動かし始める。
けっこう重かったぞ。力あるな、年寄り。
カシャカシャとステンレスをひっかく小気味良い音が止むと、間髪入れずにジュワーっと熱した鉄板と油が冷たいもんを迎合する音がして。
スナックお登勢に寄贈したつもりの玉子は、大根おろしを乗せ、美味そうに湯気を上げた出汁巻きになって酒の隣に出戻ってきた。醤油瓶と箸を伴って。
そういやチェリーを一個二個口に含んだだけで、まともに飯食ってなかったな。おろしのほろ苦い甘みと出汁から滲む鰹の風味がとろとろと崩れ舌の上を転がる。
そういやあいつも今日なんも食ってねーな。
どんだけ食っても太らないくせに食わねーとすぐそこかしこの骨が浮いてきちまう。
飯はちゃんと食わせとかなきゃいけない。でないとみすぼらしい事になってしまう。


にしても高杉がねぇ。驚いた。
まーなんにせよ迷惑掛けちまった。


「…すまなかったなぁ。」
「…。」
「もうあんま暴れさせねーように見張っとっから。」
「…こんな兎小屋みたいなとこに押し込められたままじゃー、あの子も息詰まるだろ。
 たまには出してやったらどうだい?」
「…。」
「街が無理ならどっか遠くの方連れ出してやるとかさ。」

…。

「ははっ。だなーこんな鼠小屋みたいなとこ。」
「んだと?!テメー間借りしてる身分で!」

あーすまねぇすまねぇ(笑)

「一度あの子も連れて飯でも食いにおいで。」

…。

「…ははっ。そのうちな。」
「ああ、そうだコレも。冷蔵庫壊れちまってな。」

買出し戻ってきてからほぼそのままの袋を四つカウンターに置き土産。
なんだ、先に出しゃー食えるようにして出してやったのに。袋ん中を一瞥した婆さんが呟く。
あー、今日はもう腹いっぱい。ああ、これだけ貰ってくわ。袋ん中から保存用にと飛騨とは別に買っておいた肉を一パック取り出す。
夕方カラコノママカ?腐ッテンジャネーダロウナ?
てめーは仕事しろ。
婆さんと数えるほどの客に後ろ手振ってスナックお登勢の扉を引いた。


ありがとよ、婆さん。すまねぇな。



何処か遠くになァ。
これから暑くなるし、どこか、北の方にでも行けたらいいかもなァ。


―ああ、どんなもんかねと様子見に行っただけさ。もっとも扉の向こうじゃ、見えないけどねぇ。
偶然外に出た際に遠くでパトカーの音を聞きつけもしやと思った婆さんは、階段上がって万事屋の表戸越しに高杉に話し掛けたそうだ。ちょっとの間辛抱して静かにしときなと。そっから音は徐々に止み、階段降りたところで店の前に停まったパトカーから警官が降りてきたらしい。
そこから聴取が始まったみてーだが、適当にまいて帰し、俺が階段駆け上がった時はちょうど、もう行ったよ。と一声掛けて降りてこようとしていたところだったと。言っていた。

―サイレン聞こえてただろうし、ほっといたらあの子も気が気じゃないだろ。
んなタマかよ。



しかし。よくわかんねー奴だわ。
そんなもん、あの頃からだよ。

俺はただやみくもに斬って暴れて騒いでた。身から溢れ出ちまって受け入れきれなかった諸々をただただ掻き消すように。
俺が色んなもんに疲れちまって己の無力に白けちまって。その穴埋めるみたいに降りてきた、ここにいても変わらないんじゃないか他を探そうなんて一見建設的な目覚めに背中押されて抜けた後も。何があったかこの目で見たわけじゃねーが、そこでまた色んなもん背負っちまったんだろうな。
一応足掻きはしただろうが消化なんて選択肢は端から頭にねーこいつの事だ。
荷の嵩は増し視界も通気性も悪くなる一方。さらにそのまま進み続け泥濘にはまる一方。それでも頑なに荷物持ったまま同じ方向に進み続けるもんだから、どうする事も出来ず、カタストロフに憑かれる破目になったんだと思う。

玄関の電球を頼りにリビングをくぐり、閉じておいた和室の戸を開けると、邪魔しねーようにとカーテンで追っ払ったはずの光がまた隙間を縫って射してきていて、高杉の細い足首にピンクの水母を泳がせていた。
背後から漏れる薄明かりの中、自分の体で高杉を覆う暗がりを広げながら、足を進め、膝をつき、20cm手前に陣取る。
近付きすぎ。自分の影で顔がはっきり見えねーわ。
この足はこの口は此処へ連れて来て、自ら外を望んだ事は一度も無かった。

馬鹿な奴だぜ。
傷を受けたんなら、まずそこの再生に専念しろよ。死んじゃいねーんだから、欠けた部分は補えよ。突発の喧嘩じゃねーだろ。先長いだろ。手当てしねーままそこ使えなくなったりしたら、結果効率悪くなっちまうだろ。策だなんだ練る時には当たり前のように口に上らせ組み込む事をよ、なんで個人レベルになったら実践出来ねーんだ。
馬鹿だから応用利かねーのか?
興奮したままパックリ開いた傷口が痛ぇの気付かないままで、何処まで進む気だよバカヤロー。
そのうちリビングデッドみたいな痛々しい傷男になっちまうぞコノヤロー。
せめてミイラ男程度には気遣いなさい。

思い出した指が伸びるのを止められず左目の包帯に触れる。
触れた瞬間、俺の指はビクリと小さく波打ったが、触れられた高杉はまんじりともせず横たわっていた。

はぁっ…ほんっと……なんつー無防備な。


一秒も目を離すのは惜しいような気はしたが、うちに食うもんがねぇ。
もう一度玄関をくぐり、近所の惣菜屋へ向かった。科学的な味がしないのでなかなか気に入ってる。
起きる頃にはさすがに腹すかしてるだろう。
眠らない街っっーのは、こういう時便利。





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こっから先は陰進行になります。
苦手な方はここで終わりで区切っていただければ、と思います。