手を上げるな、か。
…軽いツッコミも惨事に発展しかねないだろ、相手がアレじゃ。洒落になんねーよ。
そういえば静かだな。
俺はまた暴れてる高杉んとこに婆さんが乗り込んでっちまったもんだと思って慌ててたからよ。気付かなかった。
婆さんは何しに上がったんだ?
キャサリンのやろうめ。しっかり説明しろってんだよ。

あと二段残ってた。
食材買い込んだ袋はしっかり両手に握ってる。
…あ!これおめー右手の方確か玉子入れてたよな。
……割れてるじゃねーか…。
曲がった時にあれだな。グワーンとなってバリーンといっちまったんだな。
しゃあねぇ。買いに戻るのもだるい。
まさか全部いっちまったわけじゃねーだろ。何個かは助かってるだろ。

手上げるとかそんなんじゃなく、言ってはおかないと駄目だろうな。
今まで騒ぎがでかくならなかっただけでも不思議だ。んな事も思い及ばなかったなんて、やっぱ呆けてんな。
今日は婆さんがうまく追っ払ってくれたみてーだが、さすがに何度もは通用しねーし、警察に踏み込まれたら…オイオイ、朝刊載るぞ。
婆さんまで巻き込んじまう。

とにかく。こんな買い物袋四つもぶら提げて、何こんなとこ突っ立ってんだ俺は。
さっさと晩飯にしよう。
残る二段を踏んで腰から鍵を取り出す。
二つもめんどくせーな。
だいいちあの破壊力だぞ。こんな扉なんかすぐ壊しちまえるってーの。全く馬鹿だなヅラの野郎は。
そう。奴ぁ逃げるんだったらとっくに逃げてるよ。
騒ぎ起こしてそれに便乗を狙ってるわけでもあるまい。
奴としても警察沙汰は面倒だろう。

鍵をまたポケットに仕舞い込み扉を開ける。

「高杉ィーおまっ…ゲホッ」

…なんだこりゃあ?今日はまた一段とひでーぞ粉塵が。
晩飯の仕度の前に換気と掃除だな。とにかく冷蔵庫。

玄関上がって左に曲がり唖然とした。
その先に在った洗面所を兼ねたその空間はそこかしこに用具を散らし半壊していた。

あんんんのボゲがっ…!和室か?!
袋を提げたままリビングに向かう。

「高杉ィ!コルァーーー!」

扉が開いたままなのでズカズカと。
リビングに居ない。左に曲がって和室に…居た。
涅槃像の如く横たわってやがるよ我関せずって顔で畜生!!

「テメェありゃなんだよ?!台所ぐっちゃぐちゃじゃねーかよ!」
「しかもオメェ、冷蔵庫まで壊しやがって、おまっこれどーすんだよっ?!!」

見向きもしやがらねー。

「お前コンロあれじゃー調理も出来ねーだろうがよ!!
 ぐぁああああアアアアアアアアアアアアアアアもう…!腐るだろうがおるぁああああぁッっ!」

袋ん中から取り出した飛騨を、奴がごそごそ創ってやがる壁の小隆起群に向かって思いっ切り投げつけた。
安物の肉の間にクリーンヒットして身の弾けるような音を立てた肉は、意外とあっさり床に落ちた。
壁を弾いた衝撃で、高杉が貼り付けた肉も何片か一緒に落下する。こっちはなんだか粘着質な落ち方だ。
その様を見てか高杉は、横になってた体を仰向けに倒し、げらげらと声を上げて笑い出した。

なんだよ…コイツ。何笑ってやがんだよ。
他の安価の物に押し潰されないようにお前、一番上に乗せて運んできた今夜の主役だぞ、飛騨は。
箱入りなんだよ大事に大事に扱ってやんねーと機嫌損ねちまうんじゃねーかと思って下の奴らの配置まで考えてだな。
それが…禍しちまったじゃねーかよ。
飛騨一番災難じゃねーかよ。
あー、こいつの包装むしる時に袋床に落としちまった。…玉子全部逝ったな。
…あー、もういいわ。だりぃ。
そのまま腰を落とし、へたり込んだ。

右手一メートルちょいにソファー、左手一メートルちょいに高杉の頭部。

四つの袋のうち一つを引き寄せ、そん中に突っ込んである茶色い紙袋をガサゴソ漁って、台形のパックを出しビニールを取る。
ダークチェリー。美味そうだったから。
粒ぞろいの中から二、三選って高杉の顔に投げる。
笑い終わってボサッとしてたくせに、ひょいと片手上げて受け止めやがった。
二の腕を枕に横んなって、一粒、口に含む。
テメーがさっき夢うつつでしたかったポーズだなそれ。

「…チッ。生ゴミついてんじゃねーかよ。」

舌打ち?!何この人ォ…?!!
生ゴミって何?お前それ自分の事?!

「そのへん捨てとけや。」

どうせもう三角コーナーみたいなもんだろ、この部屋ぁ。
眼前に広がる壁や床にベタベタこびりついてるアレはなんなんだ。

ポフッ、だか、プフッ、だか音がして。と思ったら、左の頬と首に礫が降ってきた。
頬を擦った指には、少量の赤黒い液が付着していて、頬からか指からか微かに甘酸い香りが鼻腔を撫でる。
種飛ばしやがった。
ゴミってこれかよ。どういう狭い了見してんだ。
クソったれが。

ベランダの方から射す陽に、いつの間にか焼けた色が混ざってる。
カーテンの隙間から、そこから床に戸に落ちたオレンジの洞穴の中から、夕飯に向かう家族の音が聞こえてきそうな気がした。
こんな大人の欲望具現化しただけみてぇな街で。
朝一と違って、ターミナルを出る列車の足の回る音が、此処にまで届いてきそうな気は全然しなかった。

…はぁ。
ッたく。食材が無かったのか画材が無かったのか、どっちが気に入らなかったんだ?





気付くとあたりは真っ暗で、隙間からのびる洞穴を形成するのはネオンのそれになり、穴の中でくるくる回転していた。
別の白い光に肩の辺りからの外郭を縁取られて、高杉がひっそりと存在していた。
ネオンの毒々しさと交差して射す弱い蛍光灯の白の中で、その光のように幽かな寝息で薄い腹部を上下させ。

久々に和室で寝たってのに下畳じゃねーか。
高杉も布団は着ていない。堆く丸まった掛け布団を拾ったら、影に二日ほど前まで野菜室に居た深緑が散在していた。そのまま引き摺って高杉の腹に掛けた。

台所の電気をつけてその惨状と明日自分がやる事を再確認。
通路に放逐された冷蔵庫のドアを足で持ち上げて閉め、トイレや風呂場も確認。
あーよかった、こっちは面倒な取り替えとか無さそうだな。
振り返ると、大小のひしゃげを新たに実装したいくつかのボウルが、局地的に、パルックの光を乱反射してる。





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