銀時はこれを世間で言う精神疾患の類でも物事の垣根を見失ってしまった末の事でも無いと言う。

或る時などは、制作半ばの絵の何が気に入らなかったというのか、和室を区切る襖や壁を、中の骨組みが露わになるほど剥がし、ボロボロになるまで壊していた。
帰ってすぐに舞う土壁の粉塵に気付いて、ほんの一瞬程度は焦りも生じたと予測されるが、体力有り余ってやがるんだなあの野良はと眉を波打たせ笑み、最初ですらその時の事を笑話として声にした。ろくに口も利かず銀時が視界に入らない場所に向けて目を光らせ、銀時と自分と二つの個を別の場所に置いているかのように振舞うのも、何日かに一度、そう日を空けずに繰り返されるその他の破壊行動も、臍を曲げているだけだろいちいち目くじら立てるのもくだらないと、片付けてしまう。
今の高杉を叱って逆撫でするよりも、自分が慣れてしまう方が幾分か建設的。そういった行動が良いも悪いもわからぬような時期へ退行してしまったというわけでは無いのなら、釈迦に説法とは少し意味を違えるが、なるほど。わかっていてやっている者への説教は逆効果になり兼ねない。
その様子を銀時が漏らす限られた数人には、その場に居なくとも、正気を失ったような沙汰の一つ一つを少し困惑しつつも目を細めて見ている銀時の様が目に浮かぶ。

傍から覗いているだけでは(いくらその傍が親交の深い者で固められているとは言え)、その部分ばかりがやたら大きく印象を上塗りし気の触れた者の乱行にしか見えなくとも、家の壁を隔てず傍に居て常々を観察すれば違った見解の糸口が見えるらしい。
止むを得ずからこの様子を知るに至った者が診察を勧める事はあるようだが、どういった様相でそれを促されても銀時は右から左へ聞き流すのみでまるで取り合わない。
たとえなんらかの疾患を診止める医師が居たとて、どこまで信頼出来るものかもわからない。そんな者が昔からそこらの医者より頭の回る高杉に判を押すなど馬鹿馬鹿しい。銀時の心情を代弁したならばこんなところだろう。
病巣を覗くわけでもなければ血液を解析するわけでも無い、問診が主というそんな当たった医者の裁量次第で変化するような不確かな医学に診せる気にはならないのも頷ける。

万事屋で高杉を預かる事になって間もない頃、高杉は不思議と逃亡を企てる気配は見せなかったが、それがかえって何を考えているのかわからず、銀時はその不可解さに神経を尖らせていた。
同じ世界を見ている者としか共有の叶わない感覚というのは確かに存在する。
高杉の場合、無防備に内部を垣間見せる事はあるが、同時に彼の持つ不安定に波打たれ、結局他者にとってはより掴み所の無い物となる。
例えば窮地に居ても飄々と煙を揺らし普段と変わらぬ口調で淡々と話しを振り始めるなど、そういったいつまでも抜けきらない子供のような一面を以前から持っていた。
無駄に酸素を呑んでる莫迦者が見れば集中力の無い若輩にしか見えないその奥に、鈍く刃を光らせている。
子供こそ、予想に反する残酷さを想像に難いタイミングで露出させるものだ。
からくり技師をそそのかし将軍家に火筒を向けさせたあの時も、自分が仕掛けた凶事を瓢箪片手にまるで遊興気分で銀時の元顔を出したと聞く。
後を取られさすがの銀時も、笑みをはらむ声の奥に燻る切っ先に、瞬目反射で腰の物に手を伸ばしてしまったほどだ。
「声で奴だって事はわかってたんだけどよ。頭が理解する前に体が反応しちまってた。」
悪ふざけと狂気が紙一重、その紙一枚の薄い壁すらここ数年に至るまでに崩壊したらしく全ては混在している。そうなった事によって生まれる邪気を無邪気にふとした部位から放出するので、気配を察知するに長けた者は撹乱されてしまう。
成るように為るさ、語らぬ生き方にそれを纏う銀時だが、成るべくままに為って寝首をかかれたのではたまったものではないだろう。

銀時は、万事屋にて高杉を監視を兼ね匿う事が決定した時、「また面倒かよ」と舌打ちをしながらも高杉の人生に干渉する事に重い腰を上げた。
何かと危険という事で周りの者が相談した結果、万事屋に居候していた子供は従業員の少年の自宅に一時預ける事となった。静謐に満たされた部屋の中で、ただただ苛立ちのみ空気を介して浴びせられていた出だしを考えれば、今こうやって気が向かない限り全く無視していてくれるか、他に気を向けて発散してくれている方が銀時にとっても余計な気は揉まなくて済むようだ。
好きなように生きるのは構わない。もう銀時もかつてのように子供じみた独占欲で高杉をどうこうしようとも思わなければ、気持ちを規制するつもりも無い。その資格もとうに失ったと思っているだろう。が、これ以上嘗ての同志でありそれ以上であった者があらぬ方向へ盲進してゆくのは、過去を切り離したつもりになっている銀時も傍観をやめない姿勢は貫き通せなかったのだろう。

銀時の寝床に住まいだしてさしたる年月も経たないうちから枚挙に暇が無いほどの瓦礫や塵を生み出してはいるが、銀時の目に写っているのはテロリストでも獣でも統合失調の疑いを持つ者でもなく、この何年かに身に付けた物を削ぎ落とした懐かしい高杉のようだ。
それでは今目の前に存在するその何年かを積み上げてきた現在の高杉を否定しているかに思えるがそうでは無く、離れていた時間に目を伏せていた一つ一つを、眼前に上らせ時間を掛けゆっくりと飲み下していっている。
その途中だ。
高杉があの数々の凶行に走るまでにも幾つもの経過と歳月があったように、その間に何層にも縺れて固まってしまった泥のような糸を解くにも、それと同じだけかそれ以上の時間や行程を要すると推測される。
土台再建の作業に暮れたその先もいつまでこの二人の日々が続くのか、途上の今、それは誰にもわからない。


お互いこうした生活にも充分に慣れたようだと、銀時を含め高杉を除く、彼等を取り巻く者達が胸を撫で下ろした頃。
高杉の現は目に見えて剥がれ落ち始めた。





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